今年はプロイラストレーターになってからの30周年です。
僕はマンチェスターポリテクニックのアート大学に行ってる間、親はノリッチ市に引っ越しした。僕は1981年で卒業して、マンチェスターを止めて、自分は知らない町ノリッチに行って暫く親の所にとまりました。
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大学時代の電車パス |
大学でイラストレーションを勉強しましたが、実はその時は英国ロックの天才時代、マンチェスターシーンのバンド(Buzzcocks, Joy Division, The Fallなど)の大ファンでした。映画「24アワー・パーティ・ピープル」をしてますか?、そのマンチェスター、その時代です。緒堂卒業の時イラスト以外 に音楽の興味を考えて、ギターを弾きながらロックのファンジーン雑誌を作り始まった。バンドのインタヴュー、ライブのリポート、芸実と意見エッセイのテー マで、力に入れまして、知らない町ノリッチですぐ友達がいっぱいになりました。「The Blue Blanket」と言う名前の雑誌で、最小バジェット無しで始まったが、評判が良くていつも売り切れて、少しずつ印刷、部数と流通がよくなりました。1年 が立ったら、雑誌がちゃんとしてるロック情報誌になって、良い情報誌でした。
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Blue Blanket 第4から。1982年 |
でも!僕はメインのライター、編集者、デザイナー、全部やって、ボランティアで、お給料に何もなれなかった。最後僕はおもって、お前は編集者か?イラストレーターか?どれだ?とまじめに考えて、やっぱり、イラストレーションの道に力を入れなきゃ、とわかった。
大学の最後の日に自分の学生作品を沢山捨てました。1年でちょっと雑誌ばっかり考えてイラストから休んだ、だからフレシュな目でインスピレーションが入って新しい絵を何点描いて、自分の絵本の話も考えて、この水彩画でダッミー本を作りました。
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そして、1982の春、新ポートフォリオを持って、ロンドンに行って、作品を出版社にまわしました。驚いたことに最後に見せた出版社はそのままお仕事くれました!小説の挿絵のお仕事でした。
小説は「Fatbag」(ファットバッグ)と言う10−12才のターゲットのユーモラス本です。30点のモノクロ挿絵とカラーの表紙のお仕事で。ストーリーは:生きてる掃除機が町を壊して、警察は何も役に立ってない。最後学校のクリーナーさんがカレーのレシピーを使って、ファットバッグを壊す。
その時しらなかったが、「ファットバッグ」は30年後、まだ継続で販売になってます。イギリスで今でもお店で売れてます。作家ジェレミー・ストロングは有名になりまして、表紙が変わったが、中の挿絵はまだ僕の作品です。
ふしぎです!30年前からのお仕事は他何も残ってませんが、 その本はまだ販売してます。デビュー作品だからあまり全部完璧な絵ではないですが、誇りに思っています。