2013年12月17日火曜日

メリー・クリスマス!

マジカルな夢のシーズンがまた来ました。皆様に楽しい、心を温まるクリスマスになりますように!

2013年12月7日土曜日

ノイズで包囲

僕の家とスタジオはノイズの荒れ狂う海にある島である。スタジオの窓のちょうど外にビルダーは再び道路を掘っている。7月にここで引っ越ししたから、トラクターの毎日の不協和音は、道路上の建築現場から足場やその他の騒ぎをじゃんじゃんディガーは一定の仲間であったが、まだ長い道のりがあります。家は避難所のように感じている。

いそがしい建設現場を見ると自分も自分自身の仕事に忙しくします、でも一日を通してノイズの絶え間ない緊張はちょうど自分の考えで漂流の余地はありません。 僕はラジオのヴォリュームを出して、頼まれた締め切りのお仕事にがんばって、建築業者が家に帰るまでに、僕が家の事(子供の夕食etc)に忙しくなる。


最近自分自身のアイディアスケッチの欠如のために1の理由です。僕がスタジオから出て、静かなカフェの上、それか最近希少な列車の旅にアイデアやスケッチを探求する心に自分を置くことができる。それが起こるとき頭が行くところはここです...



僕はもっとカフェに休んで方が良いといつも考えているけれど、多分すべてのクライエントさんは創造的なプロセスの重要な一部と分かってくれないと思います!

ワイルドマン

The man in the wilderness said to me
How many strawberries grow in the sea?
I answered him as I thought good
As many as herrings grow in a wood.

(荒野の男が私に言った
どのように多くのイチゴは海で育つ?
私は良いと思ったように私は彼に答えた
としてニシンの多くは木に成長している。)
マザーグースから

2013年10月28日月曜日

石の巨人

巨人がおきました!


表紙、日本語版
表紙、アメリカ版
この一年の間僕の一番大きなイラストレーション作業のは絵本「石の巨人: ミケランジェロのダビデ像」です。最初はアメリカの出版社からの申入でしたが、今東京にある国立西洋美術館で「ミケランジェロ展―天才の軌跡」が行われて、小峰書店がそれと会わせて日本語版を先に出版しました。作家はジェーン・サトクリフです。「石の巨人」は日本全国にでてます、ISBNは 978-4-338-28201-7 です。英語版はまだです、来年の4月アメリカの Charlesbridge Publishers (Random House) から出版して、アマゾンジャパンなどから予約で注文できます。

皆さんに紹介したいです!ここにお見せするイメージは原画のスキャンからで、最後の印刷した本に別で描いた文書の箱が上にのせたときあります。


ページ1と2の最初のスケッチ.始めに石工のヤードを川の近く想定して、後ろにブリッジをを垣間見る。



完了した原画です。編集者はヤードが川より、大聖堂のそばと指摘して、背景が変更になりました。

絵本のタイトルで書いたように、 「石の巨人」はダビデ像の話のノンフィクション絵本です。最初にフィレンゼの町から注文がでて、大きな石が切ってあて、劣ったアーティストがちょっと限られた試みをしたが、プロジェクトがペンディングとなって石が40年以上に石工場所で忘れと放棄になりました。何十年後、やっと若い彫刻家ミケランジェロがでてきて、石を刻んして最大の傑作の1つを作成しました。

石はその後劣るアーティストに取り組まれて後、荒果てた。レオナルドでも申し入れを断れた.


この本のお仕事は本当によかったです、時代の歴史、芸実、と場所は全部僕に接続しました。研究するのが魅惑的でした。図書館とウェブで見つけるほど時代絵画と他のリファレンスソースを探して、衣装や背景の材料を集めました.時代により深い掘り下げ、コネクションがもっと強くなって、どんどんとイラストをその時代の味を植え付けたかった。
 


沢山のスケッチを描いて、 多数のリビジョン、でもダビデが石から出ててと同じように、少しずつ絵本が登場し始めた。僕はルネサンスとミケランジェロの世界に完全に吸収して入り込んだ.僕はこれで本のイラストレーションお仕事にとくに好きな事です、精神的に作る世界に生息しています。

   
ルネサンスの作品に触発されたモチーフとデコレーションをいくつかのポイントを盛り込んでしました。目的は昔の時代と接続しながら、子供が楽しめる現在の絵本を作る予定でした。

究極のデバイスを使用することを恐れなかった。ミケランジェロのスケッチを線ずつコピーしてファクシミリを作りました.あああ!大胆だったか!もちろん、ミケランジェロの作品、スケッチなどを入れたかったが、バランスのために本に描いた他の絵と同じペンと水彩画でなければなりませんでした。だから自分のペンで先生の絵を細かくコピーして本に入れました。マスターへのオマージュに描かれた、ミケランジェロのの幽霊が怒らないで容易休むと望む!

ミケランジェロの作品?え、と、ちょっと。。。

もう一つのチャレンジはダビデ像の仕事現場のミケランジェロでした。石工現場のイメージは少しカナレットが描いた絵から基づい、自分の想像も入れてにミケランジェロ時代のワークショップを作りました。専門家によるとミケランジェロが石を守るため、と興味津々の目を締め出すため、回りに木造ワークショップを作ったとしています。でも像をどんな形で造ったか、専門家がちょっと異なる。横で作ったか?立ってで作ったか?僕は想像を使って、絵に一番合う形に決めました.彼が働いていたかもしれない方法ですが、本当の事を多分知っていることは決してないでしょう。


描いたものはすべて現実と全く同じではないです。僕がいくつの事をビジュアル的に当たるように変化した、例えば、Palazzo Vecchio は本当青色ではないです!


また、町のイメージあります。 僕はよく現代フィレンツェを知てますが、16世紀の初めに登場したイメージを見せるのは大きなチャレンジでした.この最後の絵は特定の難問だった、なぜならミケランジェロがよくしてる広場をそのまま描きたかったが、ほとんどの建物は昔にも取り壊した、と絵のリファレンスが少ないです。


このイラストにあるダビデ像は実際に立っていたよりもはるかに高い上昇している.それはわざと構図デザインのためで、謝罪をしない!でも他の残りの部分は全部その時代の Piazza della Signoria のイメージ、大聖堂を入れてPalazzo Vecchio から見てる西方面です。しかし昔の絵はほとんど反対方向から、Palazzo Vecchio と Loggia dei Lanzi を見せて、もっとぐちゃぐちゃの西方面を無視してる.

主な情報源 ミケランジェロの後の時代
描かれた Giuseppe Zocchiの絵、19世紀で取り壊さLoggia dei Pisani の古い時代の壁の斜視図を示してる、それともう一つ、Bernardo Bellotto が描いた絵で San Romolo の教会を見える(1769年に失せた).この絵と他の書類をベースで使って、スケッチで建物を好転して違う方向から見せられた.本当の歴史研究の気分でした、専門家は満足してくれるかな!

Loggia dei Pisaniと回りのビルの準備スケッチ、Zocchiの作品から調査して、方向をまわしました.
 そこに古い絵画を用いた研究の問題 -すべての話を教えてくれなく、ただ昔のアーティストの目や材料を通して見え隠れる。だから正確を求めるとき、見つける報道以上に探す、正かどうかの確認で、発見したディテールをもっともっと調べる.気をつけないと一日中に細かい委細の証拠を探す事があり、いつかリサーチを止めて絵を描けなければなれないです.だから結局、昔の絵をそのままコピーじゃなければ、最後のイラストがイラストレーターの想像力と昔のレフレンス絵のマッチングです。

僕は信用できる実物の「感じ」を作りたいです、できるだけ正確な調査を使って、正しい、楽しい、絵本を作る.どうでしょうか?



日本語版の「石の巨人」は今小峰書店から販売してます。

2013年10月23日水曜日

文字のないニューズ

先週の日曜日10月20日は日本で祖父母と孫の日、毎日新聞が「文字のないニューズ」の特集折り込みを出版しました。大きな世界地図に現在のニューズ、局所特徴などを年寄りと孫が一緒に見るテーマでした.ディレクションは Tokyo Planet Design で、僕がイラストを作りました。
出版した地図です

細かいディテールありますから、もし印刷物をご覧になれなかったら、毎日新聞のオンラインサイトで見て一番良いです。

ちょっと入り組んで大変な作業でした。原画はかなり大きいサイズで作って、そして現在のニューズのアップデートで、締め切りのぎりぎり前に変更がくるかのせいでした.何点のニューズリポートを入れるディレクションありましたが、広い場所と人が少ない所には注文がなかったから自分で調べて、リサーチをして、ニューズ、人、自然、町の建築などを考えて入れました。

オーストラリア(最終編集前の元のカラーリング

まず、付けペンとインキで海と国の形をA3サイズのレイアウト紙16前に描いて、 スキャンをしてフォトショップで一前の絵に組み合わせた。手塗りの水彩テクスチャーを作って、スキャンして、深さがある水彩バックの色ができました。全部一前の絵でしたら1.5 x 1メートルぐらいのサイズでした。

背景国と海の原画
人物と他のデテールはそれぞれ別々で付けペンで描いて、一枚ずつスキャンをして、位置付けて足しました.絵が多くあって、最終のイラストに含まれていたすべてではない、そして沢山修整でした。これはいつも使ってるコンピューターのテクニックですけれど、こんかいは壮大なスケールでした。ちょっとジグソーパズルでイラストを描いてる気持ちでした.

人物、景色、アイテムなどの元面の
色全部できたら、最後のタッチは、ワコムのペンでコンピュータに直接描かれた余分な景観機能を追加することでした。


アマゾン (最終編集前の元のカラーリング)

予想として、変更とニューズアプデートが沢山ありました、そして最後、絵を渡した後、ちょうど印刷に入る前、クライエントさんが全体の色を明るくしてもっと「ポップ」な感じにしました。



僕がわたした色スキームの地図。上の印刷したものと比べて、どちらが好き?

いろんな頼まれたニューズを入れましたが、他の詳細と広大な場所にリクエストがなかって、僕は自分自身に調査し、追加しました.ニューズ、ユーモアと環境のバランスを探しました。


東アメリカ(最終編集前の元のカラーリング)

アラブ中東(最終編集前の元のカラーリング

 セルフポートレート?もちろん!

娘と一緒にイギリス、
物議アナグマ淘汰ロイヤル赤ちゃん挟まてる。

クロテン毛の水彩ブラシは本当にシベリアイタチから作られてる。知った?

 毎日新聞の「文字のないニューズ」、まだオンラインでズームバージョンにアクセスできます!

2013年10月12日土曜日

キャッチアップ!


新スタジオ、いらっしゃいませ!
あ、やっとブログに戻りまし た!しばらくソーシャルメディアをちょっと避けてきた、主に引っ越し後の合併症、ヴォランティアのか都度、そして最近なによりもお仕事の締め切り.特にこ の3週間で新聞の細かい作業で夜の遅くまでスタジオに電気がついてって、たまにオールナイトも。10月の20日、日本全国の毎日新聞(第2版)に特集挿にでます、買ってください!

印刷になってから紹介しますが、今はちょっと だけの卑劣プレビューです。世界地図のイラストです。。。

 


はい、セルフポートレートもちろんあります

夏の初めから新しい絵本、ポスター、と他のお仕事がでて、いろんな事を話したいです. プレッシャーが上がりましたら僕が終わるまでわざとソーシャルメディアからはなれて、ブログ、メールグループ、Facebook、Twitterなどのサイバー気晴らしから、休みだった。

でも今はも最終的に締め切りと追いついて、僕と娘は真家に落ち着いて、新スタジオが動いてます.プラス新しいアシスタントがいます....

 


 Pixieちゃんはまだ締め切りのお手伝いにあまり役に立ってないけど、勉強中です。娘が「Pixie」の名前を決めて、「ピクシー」と言うのはイギリスの南近辺コーンウォール県の小妖精です(僕が好きなバンドの名もありますが、妖精を考えて決めた)、今12週間ぐらいです.Pixieちゃんが十分にすぐにペイントブラシを振り回すことでしょう確信して!

2013年7月10日水曜日

夏お見舞い

皆様に豪華な豊かな夏になりますように!


今年の夏、家とスタジオは引っ越しをしました。ここは街の端に新しい家ので、家の前はまだ工事現場で、黄色いいろのディガーは大きな音ではしてる、そして一日中ガーンガーンの音を立てると叩いての一定の不協和音、瞬間にに囲まれています。しかし、全部終わったらここの生活は牧歌落ち着いた素朴な夢になります...

... ま、僕はそうなるように夢を見てます。

間違いなく確かに言えるのは、引っ越しのちょっとの問題以外、この家はクレイジーなアーティストとワイルドな目をした娘の要件については、ほぼ完璧です。これからは素晴らしいいだろう!

皆さん、ハッピーな夏になることを望みます!

2013年6月4日火曜日

グリムの道

今年はグリム兄弟の有名な本 Kinder und Haus-Märchen「グリム童話」の出版200周年です。記念してため、僕は ANA の機内誌「Wingspan」に描く毎月イラストのレギュラーシリーズの最新のカットです。

今月6月の発行にのってますが、雑誌を見るため ANA の国際線にのれなければなれないです.

2013年5月28日火曜日

1987-1988年における谷根千のもっと写真

解体された谷中と根津の"当時と現在"比較写真,さらにいくつかお見せします.

長年にわたり、僕は日本でたくさんのことを経験し、多くが驚くべき、時折不穏だった。本当にショックに受ける悲しみは少ないですが、 谷根千の古い建物を崩したのは本当にがっかりです。

根津2-10

解体されている根津2-10 (Google Street View)
谷根千は他の地域と違って、昔の時代からの遺族でした。特別の残ってる町だったから、全部の古い建物は建築の値段以外に高い価値を持ってた。
今取り壊されている建物は、建設の壊しだけでなく、地域の遺産破壊である。数年で谷根千は都市のスプロール化に負けてしまって、東京の普通の郊外になります。

そして、これらの古い建物は何を置き換えられていますか?多くの場合、多くの倍、大して物じゃない、たまに何もない!

上野桜木1-11-12、中華料理の京屋

上野桜木1-11-12、今はただの車スペース。 (Google Street View)
これは税金の問題と思うけれど、悲しいですね。

谷中1-2、天眼寺の入り口と森田電機店。言問通りの三代目新ふじのすぐ横にあたが。。。


...2003年に解体されて、このスタイルの建築になりました。 (Google Street View)


根津2-21

現在根津2-21の同じ場所:駐車所  (Google Street View)

1987年の根津2-31

根津2-31、今日.真ん中だけはまだあります (Google Street View)

僕は一番悲しくなるのは根津2-33と谷中2-3と2-4の交差点の回りです.先お見せた根津2-33、もう一枚の写真です。。。
根津2-33

その右にある道に歩くとすぐ吉野屋酒店がありました:
根津2-33吉野屋酒店
吉野屋のとなりはこれでした:
根津2-33、吉野屋のすぐ横にありました.
この交差点と道は東京に珍しい、長い列の木造うちでした.今は全部なくなって、大きなマンションになりました:

現在の根津2-33 (Google Street View)

でもまだちょっとだけ残ってます.根津2-33を交差点をわたって、これがありました:

谷中2-4四軒長屋。
今はまだあります、昔の孤独な思いで:
谷中2-4四軒長屋. (Google Street View)
そして 交差点から言問通りの方面に曲がるとすぐ染物丁子屋はまだあります。

根津2-32 染物丁子屋
このお店はすてきですが、昔、回りの近辺は全部こんな感じでした.

いくつかのケースでは建物がまだ存在していますが、イメージが変わりました、例えば...

1987年谷中7-17-11の写真を撮りました

今谷中7-17-11 は今イタリア料理のお店、 オステリア谷中のトラモントとなりました。建設は同じと思います

根津2-21、1987年の吉野寿司
根津2-21、1987年の吉野寿司

根津2-21、2013年の吉野寿司 (Google Street View)

最後に、悲しい思い出ばっかりじゃない、著しく変わらず生き残るいくつかの古い建物がいろいろ残っています。沢山写真をポストをしなくても良い、ウェブで谷根千(谷中、根津、千駄木)を探すといろいろ出てきます.

谷中6-1カヤバコーヒー店 (1997)
交差点の反対側に下町風俗資料館ありました。 (1997)

現在の6-1カヤバコーヒー店は同じです.となりにあた家が崩れたが、道の反対側の博物館もちゃんと残ってます. (Google Street View)
よかったです!長い残ること期待します。